2010年6月
2010年6月28日(月)
梅雨の晴れ間の作業が続いてます。
今日の伊豆高原は
雨が降ったり止んだりとぐずついた天気ですが。
少しくらいの雨なら作業しちゃいます。
スタッフ皆で力を合わせて
ウッドデッキを作り屋根をつける。
森の中の陶芸体験教室の観光施設作り。
雨に濡れつつ雨でも遊べる場所を作る。
楽しみながらやってます。
文章※武山よしてつ
2010年6月22日(火)
夜中の1時頃、陶芸の窯炊きを終え
家の中に入ったら階段の辺りで緑色の光がゆ~らゆら舞ってます。
蛍が家の中で舞ってるのです。
3年前の夏には2階の窓の外でホタルが2匹ほど舞うのを確認したことあるのですが。
わざわざホタル祭りを見に行かなくとも家の中まで入ってくるとは、
伊豆高原はやっぱり田舎なんだな~と再認識してしまいました。
しばし鑑賞の後、マーボが外に逃がしてやりました。
文章※武山よしてつ
2010年6月21(月)
ほけきょ庵では伊豆高原の森の中で器や雑貨などを楽しめるギャラリーをと
ウッドデッキに棚を置いて作品展示を行っています。
そんな最中、伊豆志野焼きのぐいのみにミカドトックリバチが巣を作りました。
蜂の巣と言う事もあり撤去しちゃおうかな~などと一瞬は思ったのですが
そんな無粋な事はやめて、ほっといて観察してみようと思います。
私は東京に10年住んでたのだけど、
その頃にはそんな余裕は無かった気がします。
建物や人の密度の薄い伊豆高原だからこそ。
心にも隙間が出来て、大切な商品だけど
「蜂の一匹や二匹いっか~」と思えるのでしょうね。
伊豆高原に越してきて5年、田舎暮らしにも慣れてきたのかな~。
文章※武山よしてつ
2010年6月20日(日)
ウッドデッキ拡張してます。
お客様のいる時は音の出る工具は使用できないので
工事作業はお客様の居ない時に限られるのですが。
この時期は雨が降るので外作業を行うチャンスが極端に減ります。
ですので「お客様がいない」「雨が降ってない」の二つの条件が揃ったら
30分だろうと10分だろうと外作業をやります。
ほけきょ庵は、スタッフの手作りの設備で皆様をお迎えしたいので。
7月~8月の繁忙期に向けて。
広々としたウッドデッキで陶芸やフェルトなどの
クラフト体験が出来るように。
お客様が居ないからと言って暇な時など片時もありません。
閑散期は施設に磨きをかけるのです。
チマチマですけど確実に。
一歩一歩だけど丁寧に手作りで。
これこそが伊豆高原での田舎暮らしの醍醐味です。
文章※武山よしてつ
2010年6月19日(土)
本日はウッドデッキの日除けを作りました。
先日鎌倉に行った際に「スワニー」という鎌倉マダムご用達の布地ショップで
ほけきょ庵のウッドデッキの日よけの為の布地を15mほど購入してきました。
今までは屋根の上の「よしず」のみで対応してましたが
7月~8月の陽射しは伊豆高原といえどもさすがに厳しいのです。
今日は曇り~雨でしたので効果のほどは実感出来なかったのですが。
晴れの日にはきっと活躍してくれることでしょう。
文章※武山よしてつ
6月11日(金)
梅雨に突入し、雨ばかりの日が続きますが
たまの晴れの日には性懲りも無くまたウッドデッキを拡張してます。
夏休み7月20日までには、9mX3.5mの広さのデッキを2つ作りたいと考えてます。
順調に行けばその半分に屋根もつく予定です。
明日から2日間は第2回の鎌倉観光視察へ行きます。
今回は北鎌倉と若宮大路周辺の土地勘を養うために行きます。
賃貸はやめて土地か家を買う方向で話を進めたいと考えてます。
伊豆高原で培ったやり方を変えたくない。
やはり施設は手作りしたい。
商売だけじゃない。
生き方の問題にしようと考えてます。
文章※武山よしてつ
・The world is a playground. 武山よしてつ ~漆喰彫塑と虹のインスタレーション~
伊豆高原アートフェスティバル77番目の会場・ほけきょ庵では、
陶芸作品、手芸作品の展示販売を行いました。
期間中には仏をモチーフにしたインスタレーション作品作りを来場の皆様にごらんいただき、
作品の完成してゆく様を見学出来るよう趣向を凝らしました。
光と水と空気と虹と、自然の要素をスクリーン投影した漆喰素材の彫塑仏陀。
誰にも簡単に視覚・直感的に楽しめるよう工夫してみました。
現代で生活する我々は誰しもが生身の釈迦・仏陀を知りません。
これは千年前に生きた人も二千年前に生きた人も同様です。
仏像を彫る仏師たちも例外ではありませんから、
仏像をモデルに製作された仏像で世界は溢れかえっています。
既にデッサンされた石膏彫刻をデッサンするような芸術活動で
自分自身の創作意欲を満たすことは、私には出来ません。
仏像を見て仏像を作るくらいなら、自ら作ることなく既製品に求めれば済む話なのです。
それは表現者の姿勢ではなく鑑賞者の姿勢そのものです。
私は仏像に興味があるのではなく釈迦・仏陀に興味があるのです。
釈迦をモチーフに創作を行うならば、釈迦とは何かを理解する必要があるでしょう。
二千五百年の間に彼の教えにかけられた数多のフィルターを取り除き、
彼の教えその物に近づく事が必要となるのです。
小乗仏教と大乗仏教に別れる前の釈迦が唱えた教え。
道教やヒンドゥー教の影響を受けていない教えそのものに迫る必要があるのです。
奈良や京都、鎌倉などで見られる仏教彫刻の数々は、それはそれで美しいのですが。
仏陀の教えそのものを表現してるとはとても思えません。
そもそも日本に仏教が伝わったのすら、仏教が世に出てから一千年のときを経ているのです。
伝播する途中には、伝言ゲームのようにその土地の文化、他の宗教観や神話をもを吸収し
釈迦の教えとは程遠いものになってます。現世仏教の数々を否定する気はありません。
ならば「釈迦の教えとは程遠い」と言う私の理解も何者にも否定できるものではありません。
お前に釈迦の何がわかると問われれば
お前こそ何を知っているんだと問います。
この「タブー」を私は冒したいと思います。
製作にさいし最も注意したことは、仏陀の説く世界観を視覚・直感的に得られるように
「荘厳」「重厚」などの従来の装飾を廃す事です。
二千五百年の間に身にこびり付いた垢や汚れを落とすように、
数多の僧侶。仏師・職人が、ゴテゴテに装飾したそれらの要素を引っぺがします。
薬師も如来も観音も孔雀も毘沙門もなんもかんも廃します。
これらは後の人々の都合により付け加えられた装飾に過ぎません。
菩薩も阿修羅も明王も天部も否定します。
それらバリエーションは楽しくも美しくもあるのですが
これらはむしろ「仏陀」そのものに近づくことを阻害しかねないとの判断です。
私はこれから貴方が今まで見たことのない仏像をクリエイトします。
極端なことを言えば、自室の部屋のすみにインテリアとしても存在が邪魔にならない様な、
シンプル&モダンな仏陀の姿を創造する事になるはずです。
この仏陀は、普段は工芸品やおもちゃ作りを生業とする私が行う芸術活動の1作目です。
これからどのような返還を辿るのかとても楽しみです。
文章※武山よしてつ
・漆喰の造形物をプロジェクターに見立て可視光線で彩る
2010年5月13日(木)
「美しい」と「本物」を掘り下げてみることにします。
今度は表現者側の理屈ではなくて消費者側の理屈も交え話を進めてみます。
「本物」とか「美しい」などのキーワードを語るときに
真っ先に頭に浮かんだのが白洲正子です。
消費社会の主役であるマダムのカリスマであり。
当代一の目利き、"ほんもの"を知る唯一の人といわれた白洲正子
彼女を形成したであろうバックボーンをなぞってみると見えてくる事実があります。
白洲正子自身は「随筆家」と言う肩書き。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%B4%B2%E6%AD%A3%E5%AD%90
父は日本の実業家、政治家。樺山愛輔伯爵
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%BA%E5%B1%B1%E6%84%9B%E8%BC%94
祖父は薩摩藩士の出目で、のちの海軍大将でもあり政治家でもあった樺山資紀伯爵。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%BA%E5%B1%B1%E8%B3%87%E7%B4%80
夫は、終戦連絡中央事務局次長、貿易庁長官、吉田茂首相の側近であった白洲次郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%B4%B2%E6%AC%A1%E9%83%8E
夫の父 白洲文平は、貿易会社白洲商店を創業巨万の富を築いた実業家。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%B4%B2%E6%96%87%E5%B9%B3
・白洲正子は幼い頃より
文芸評論家小林秀雄(長女明子は白洲次郎・正子夫妻の次男兼正の妻)に薫陶を受け
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E7%A7%80%E9%9B%84_%28%E6%89%B9%E8%A9%95%E5%AE%B6%29
志賀直哉や武者小路実篤、また梅原龍三郎や安井曾太郎といった芸術家たちのパトロンとしても知られた細川護立に古美術を学び
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E8%AD%B7%E7%AB%8B
・主だった交友関係に
日本洋画界の重鎮・梅原龍三郎や、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E5%8E%9F%E9%BE%8D%E4%B8%89%E9%83%8E
細川護立の孫、肥後熊本藩主だった肥後細川家の第18代当主。細川護熙(後陽成天皇の14世孫にあたる)と旧知の仲。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E8%AD%B7%E7%86%99
白洲正子の「同級生」だった「三宅一生」は、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%AE%85%E4%B8%80%E7%94%9F
今なお人気を誇るルーシー・リーと親交があり
彼女の作品を多数コレクションし日本に積極的に紹介してる。
この流れからすると、現世の美術観は、
日本史の勝者たるものどもの影響力無しには語れないと思います。
白洲正子の家系をたどると大政奉還時に活躍した薩摩藩に行き着きます。
薩摩藩はその後の日本の政治の中枢をなし
日本の流れを大きく形作ってるのですが。
美術の世界での影響力もまさにそうなのです。
薩摩藩は日本が初めて参加した国際博覧会である
1867年のパリ万国博覧会に国の威信を引っ提げて参加してます。
薩摩藩は「日本薩摩琉球国太守政府」の名で
幕府とは別に展示し、独自の勲章(薩摩琉球国勲章)まで作成し。
幕府は薩摩藩に抗議したにも関わらず聞き入ず、
幕末の政争が如実に現れた万博だったそうです。
これらを辿るに、歴史の勝者の価値観・美術観=時代の価値観・美術観
とも言えるのではないでしょうか。
しかしこれら歴史の勝者の推す「美」や「本物」これも確かに美しいのだけど
これもやはり単なる「教養」であって相対的的な価値観の中にどう位置づけるかの物事でしかないのです。
だって「美しい」と言う価値観は元来絶対的な物ではなく相対的なもののはずですよ。
例えば「太陽」だってほとんどの国では信仰の対象ですが
砂漠の国では強く照り付ける悪魔として神話に登場したりします。
日本では井戸茶碗は持て囃されますが朝鮮では雑器です。
そよぐ風、美しい木漏れ日も地球産まれの私たちには心地よいかもしれませんが
火星出身の生命には居心地悪いかもしれません。
それがまるで、何の疑問も無く
「太陽は神様(天照大神)で井戸茶碗は高級な物。自然とは美しい物」
と語られてるじゃないですか。
それらの「美」や「本物」も私は好きですし。
学び教養として身につける事はあっても。
それはあくまでも「教養」という名の「装置」であり
下で述べる時の権勢に由来する囲いその物でしかないのです。
この世の中は、「ワタクシ」程度であれば手足を伸ばして
大声出して叫んで、力いっぱい走り回っても、余りある広さを湛えてます。
ですから、たいていは過不足無く自由を満喫し人生を謳歌できるのですが。
実際にはそれよりも更に外に、世の中を規定する大きな「囲い」があり、
庶民はそうとは知らず搾取され続けます。
それは日本で言えば、この国の民主主義の背後に潜む
「天皇家と華族・公家が何百年も国の中枢たり続けてる歴史的事実」であったり。
若者があるとき抱える閉塞感と世の中突き破ってぶち壊したい。といった願望は、
これらを敏感に感じ取り発する本能の雄叫びであるのでしょう。
年をとると、その現実も許容できるようになり
ぶち壊したい。突き破りたいよりも「いかにその中で泳ぐか」に
力の方向がシフトしてゆくのだけども、それらの現実も許容しつつ
その囲いの更に外に広がる無限の地平に、美しさや価値観を求め、学び、生きる。
これが出来れば幸せなんじゃなかろうかと思うのです。
白洲正子は生前、本物とか美しいを語るとき整理して語ってません。
漠然と「自分がそう思うからそう思う」程度の認識です。
これはやはり「そう教わったからそう思う」という教養であり。
産まれた時から囲まれて育った調度品や骨董趣味の爺やたちに感化され・仕込まれてそう思うのでしょう。
だからこそ消費者の目線で語れたのだし。
だからこそマスにも支持もされたのでしょう。
彼女は表現者では無く消費者の代表のような人物であり。
教養の範囲で美しいとか本物を語る人達の代表のような存在。
だというのが私の見解です。
だとするならば、「表現者」と「消費者」の境界線は
技そのものや作品も含め既にある物・伝統を継承するのか
新しい物を創出するのか。
囲いの中に目を向けるか、囲いの外に目を向けるかの違いと
いう、ごく単純な結論が落しどころというのが私の見解です。
つまり「千利休」はアーティストですが
「千家の人々は」継承する人々で消費者である私達の側と言う結論です。
仏陀は神の如く語られますが
その弟子達は人間の如く語られるのと同じ事でしょう。
だとしたら、「表現者」として生き抜くには
国家のシステムがどうであろうと。
不景気だろうと。政治が荒廃してようと、戦時下であろうと。
権威が「美」を規定しようと薦めようと
どのような状況、環境であろうと
「芸なす術を可能とする精神性を体現する道(スパイラル)」
を突き進む。
その為の環境作りも含めた挑戦が芸術家の人生であり。
それら「権勢下の美意識」や「大衆」に迎合する事無く
それを乗り越えた「美」や「本物」を追求する。
そして芸術を愛する方と交友を持ち、
共感しあい共に何かを作り表し。
権勢にも大衆にも提示できれば幸せなんじゃないかなと思うんです。
整理して簡単に言うと、
安全な柵の中で生きてる集団が居たとして。
その囲いの外にひょいと飛び出て、
その囲いの中には無い「ちょいとした物」を拾ってくる。
そんな風に生きてみたいと思うのです。
芸術談義に話を咲かせたい方はほけきょ庵へとお越しください。
共に語らいましょう。
文章※武山よしてつ
・完成ではないがここでいったん終了、また時間を作って完成度を高めます。
2010年5月12日(水)
伊豆高原アートフェスティバルを機に
開催施設を回り、芸術談義に花を咲かせました。
その中の一つであるローズマダーにて行われた
「桑原宏・絵画展」にて一枚の絵に出合いました。
何のことは無い女性のヌード画なのですが物凄い完成度と迫力で私に迫ってきます。
ローズマダーの店主に
「この絵は特別印象的だ」と伝えると
絵にまつわる話を披露してくださいました。
話はこうでした。
まだ10代の画伯の始めてのヌードデッサンであり。
それは戦時下の話であったと。そしてその後の人生においても
何枚も何枚も何かに取り付かれたようにデッサンを書き下ろしていたと。
今でこそヘアヌード写真集などが乱刷されてますが。
戦時下では話が違います。
赤狩りなどの思想弾圧が横行する戦時下の日本で
ヌード画を描き続けると言う事がいかほどの事か。
その気になれば女性の裸が気軽に見れる現代とは訳が違います。
「そんな時代での女性の裸」です。
恐らくは、強烈なリビドーが体内をかけ巡りアウトプットせずに居られなかったであろうと。
そうせねば自分がどうにかなっちゃいそうな感覚は私もとてもよく理解できます。
表現者として共感せずに居られませんでした。
そして弾圧の危険性があろうとそれを貫いた意志が存在した事実が
「一枚の絵に凝縮」されていたのでしょう。
私は「女性の裸」に感動したのでもなく「紙の上に塗ったくった絵の具」に感動したわけでもなく
それらを可能とした「精神」そのものを具現化した「一枚の絵」に感動し勇気を与えられたのです。
「芸なす術を可能とする精神性を体現する道(スパイラル)」
その結果、この一枚の絵は美しいのであり本物であると思うのです。
そして、名を残すことなく歴史の狭間に消えた
アーティストが数多く居たとしても。
作品そのものは残り、伝えられた例は数え切れぬほどあるのです。
分かりやすい例えで言うと、
わが国の「国宝」の大半は誰が作ったものか詳細が残ってません。
他の国でもそうです。
しかし「作品」その物は大切に受け継がれ。
その精神性を垣間見ることが可能なのです。
芸術作品とは、表わした人とその保存と伝承を行った者の想いの結果なのです。
文章※武山よしてつ
・伊豆高原アートフェスティバル77番目の会場 ほけきょ庵
2010年5月6日(木)
今年のゴールデンウィークは何時もと少し違い
伊豆高原アートフェスティバルに参加しながら迎えました。
1年で1番忙しいこの時期に通常の陶芸体験のお客様プラス
アートフェスティバルの訪問者も同時に向かえねばならないので。
経営手腕が問われる正念場でした。
しかしそれも杞憂に終わりました。
ゴールデンウィークを目標にトレーニングを重ねた甲斐あり
通常のスタッフ3人にマーボの姉も加わり合計4名で無事乗り切りました。
1番混みあった日は60名を越える体験者で賑わい
それプラスアートフェスティバルの訪問客数十名ですから上出来です。
マーボの姉夫婦も加わり
ご褒美に皆で宇佐美の岡部寿司に行きました。
スタッフの志村君も「も~勘弁してください」といわんばかりにお腹を膨らまし
私もこの日ばかりはダイエットを気にせずにタラフク寿司を平らげました。
文章※武山よしてつ
・この作品は漆喰彫塑ですが当初は石膏で作ろうとしました。
2010年5月10日(月)
常々本物でありたい。美しく生きたい。
その結果本物の美しさを備えた表現を行えたら幸せだと私は考えてます。
では美しいとは何か。本物とは何かを考えた時に
単に製作物その物が持つ「リアリティ」のみの問題ではないと言う事に気がつくことになります。
約15万年に及ぶ人類の文化活動で革新的な事をやってのけた人、独自性を打ち出した人は、
歴史に残ってる人以外にもたくさん居るはずです。
ではなぜその数多のアーティスト達が歴史に残らなかったのか。
そもそも「歴史に残る」と言う事がどういうことなのかを考えてみます。
ここではひとまず、応用芸術の一ジャンル
「陶芸」に限定して実際に歴史に名が残ってるといえる人たちの
秘密に迫ってみることにします。
彼らの表現その物は、それぞれ歴史に名を残すくらいですかとても良く出来てます。
よく出来た表現の中にも残る物と残らない物があるその境界線をイメージした時に
単純だけど見落としてる物事として、「バックボーン」「人脈」を挙げてみることにします。
バックボーンを挙げてみると何となく見えてくる世の中の仕組み。
そもそもの「歴史」という物の実態・本質が見えて来ると思います。
アーティストを古い順に挙げてみます。
千利休・堺の豪商の息子、信長・秀吉の部下
古田織部・大名家の息子、秀吉の部下 千利休の弟子
小堀遠州・大名家の息子、家康の部下 古田織部の弟子
本阿弥光悦・刀剣の鑑定研磨の本阿弥家の息子、刀伽家業ゆえ武家(権力機構)との強いつながり
川喜多 半泥子・15代続く伊勢の豪商の家に生まれる、政財界とつながり
北大路魯山人・勅祭社の息子、政財界とつながり
ルーシーリー・ユダヤの名門資産家の娘、政財界とつながり
以上のことから、 歴史的であるということは「革新的」であると同時に
「事を成す為の援助や財力とそれを認知・評価してくれる人脈と強い連携がある」
と「歴史が証明してる」といえると思います。
結局なぜなら、歴史の教科書に残る位の「物事」と言うのは、
時の権力が奨励した「宗教」や「文化・教養」である必要があるからです。
武家政治に利用された「茶の湯」とそれにまつわる道具としての焼き物。
政治家資産家が集まる経世の美食倶楽部で使われた道具としての焼き物。
時の権力に逆らうような文化や宗教は弾圧を受けて消え去るのみですし。
権力と無関係な物は無視されるか「その事実があった」事すら問題にされない。
これが歴史の真理・実態でしょう。
今後歴史に名を残しそうな陶芸家を挙げてみろといわれたら
ロクロの達人、焼成の魔術師、モダン陶芸の帝王、テストピースの貴公子なんかよりも、
陶芸家・細川護熙・前総理大臣だと言えるわけです。
上に挙げた人の中には「模倣」で名を上げてる人もいますから。
歴史に残るには必ずしも革新的である必要はないと言えるとは思いますが。
しかしやはり人脈だけでは歴史に残るのも無理でしょう。
なぜなら、今まで人脈があって陶芸も出来た人も、これまた大勢いたはずだからです。
この辺りが「歴史」といわれる物の「実態」だと推察したのならば
導き出される結論として「本物の美しさを備えた表現」が「事を成す為の援助や財力とそれを認知・評価してくれる権勢」と繋がった時に
比類なき「アーティストが産まれる」と言えるのではないでしょうか。
ミケランジェロ・ブオナローティと・メディチ家とローマ教皇ユリウス2世
貴族の息子だったダンテ・アリギエーリ
では、彼らのみが「アーティスト」なのでしょうか。
答えは「是」なのか「否」なのか探ってみることにします。
文章※武山よしてつ
・ダンボールに新聞紙を巻き、針金で固定します。
2010年4月29日(木)
日本では「芸術」「芸能」「芸道」を一緒くたに語り
これらを混同したかと思えば
「応用美術」「大衆芸術」「純粋芸術」とに分け
ヒエラルキー的に認識してたりと、とにかく混乱が絶えません。
ここでこれらの事には詳しくは触れませんが
私の捉えた芸術とは「芸なす術を可能とする精神性を体現する道(スパイラル)」をさします。
上に挙げた6つの要素の中庸的かつ統合的概念だと考えてください。
そしてそれを可能とする者、または志向する者を含めて「アーティスト」と呼称するのだと考えてます。
似たような存在として「サイエンティスト」「フェロソフィア」を挙げておきます。
サイエンティストは、「ある事物や現象を説明するにあたり、考えられる様々な仮説から、誰にも検証できる、再現性を持つ実験や観測を行い、その結果に矛盾しない説明を選びだす」人々であり
アーティストは、「信念や思想、感覚や感情を表現するにあたり、考えられる様々なアイデアから、誰しも再現出来ない独自性を持つ表現を行い、その結果、類を見ない感応を創り出す」人々でありましょうか。
科学者や哲学者は様々な分野で研究し思惟を重ね、それぞれの分野において
独自の理論や発見を重ねる人々であるからして。
相対性理論を発見したのはアインシュタインただ1人であり
無知の知を説いたのはソクラテスです。
独自の発見をした者に冠される名誉ある称号であり
尊敬を持って呼ばれる呼称。
唯一無二の発見や表現を奏でる者こそ「ザ・サイエンティスト」であり「ザ・アーティスト」であると考えます。
つまり、人類の文化活動に「節目」(金字塔とも言う)をつけた人々です。
そのくらい、私にとっては「アーティスト」は尊い存在であり、
だからこそ、そこを目指すのには「目的であり目標」になるという事なのです。
したがって、独自の表現に至らない表現を行う者は
アーティストではない私と同等の存在であり、どんぐりの背比べに過ぎないのです。
しかし世の中では発見の無い研究者やエンジニアの事も
「サイエンティスト」と呼びますし。
独自性の無い者や模倣者をも「アーティスト」と呼んだりもします。
何を持って独自とするか、何を持って模倣とするかは曖昧ですし。
知識教養には個人差があるので遺憾ともし難わけです。
自身のオリジナリティに興味はあっても
他者のオリジナリティに興味の無い者が唱えるオリジナリティほど
滑稽な物は無いわけなのですが。
鑑賞者どころか作ってる本人ですら知らなかったりなんてのは当たり前で。
余程アンテナを張ったつもりでも
物事を知れば知るほどに結局のところは
「自分が何を知らないのかすら知らない」事実に突き当たるのみです。
しかしこれらの自覚があるのと無いのとでは大違いですし。
これは大きくは表現者側の問題ですが鑑賞者側にも同様に言える事でしょう。
確信犯的に、これらのギャップを利用する者も絶えません。
ですので、芸術の発表や評価、鑑賞には
心の「クーリングオフ」期間を設け、余裕をもって俯瞰的立場を持って接するか、
好きとか嫌いとかのごく個人的な観点に走るかが問題となるのですが。
好きにしろ嫌いにしろ作品そのものと
評価を下す己にも俯瞰的立場を持って接するのが確実でしょうか。
とまあ、作品を製作しながらこんな事を考えてみたりするのも
久々の創作活動だからでしょうかね。
こんな事考えてると「何を頭でっかちな」と思われてしまいそうですが。
私は右脳と左脳の両方を統合駆使して、
全脳を持って「芸術」や「科学」に触れて理解したいのです。
そのくらい私はアートを愛してます。
文章※武山よしてつ
・ガムテープでグルグル巻きに固定
・ダンボールを丸めて芯材を作ります。
2010年4月28日(水)
ゴールデンウィークに向けたお香体験小屋が完成しましたが
引き続きゴールデンウィークにこの伊豆高原で行われるアートイベント
伊豆高原アートフェスティバル向けの作品製作に入りました。
ほけきょ庵の運営が私の責務であり、
ここ数年は自己の製作物に当てる時間や資金がありませんでした。
経営と言うのは、朝起きて夜寝るまでの全ての時間を当ててもなお足りない物で、
ここ数年は、ひ~こら言いながらただひたすら馬車馬のように働くのみでした。
その甲斐あってか、ここの所少し余裕も出て来てるので
この伊豆高原アートフェスティバルを一つの機会と捉え、
ほけきょ庵の認知とスタッフの製作物の発表の場にできればなと考え
今年から参加することにしました。
私自身も自身の中に温めてたアイデアを具現化出来るチャンスですので大張り切りです。
使用する素材は、
ダンボールや新聞紙、小屋作りで出た廃材やあまった漆喰などの建材。
つまり「ガラクタ」です。
アートなんてのは
見る人によっては「ガラクタ」同然だと私は考えてます。
究極的なことを言えば、
絵画は「紙の上に絵の具を塗ったくった物」であり
彫刻は「木材をノミで削った物」です。
貴金属など希少価値の高い物を素材に作ったとて
時を経れば世にありふれた素材ともなりますし。
科学の粋を極めた技術を駆使しても
やはり文明単位のスパンで物事をはかると時間と共に価値が減少します。
モチロンそういった点も踏まえ評価評論されるものではあるのですが
それは評価する側の都合でもあります。
そういった単なる「物」に、文化的背景や文明を異にする者すらも
感応させてしまうほどの、技術を可能とする精神性が宿らなければ、
結局のところやはりそれはガラクタ同然なのです。
特に現代に至っては美術大学でアーティストが量産され
高い技術力と知識教養を誇るアート作品を量産するのだから大変です。
僕の「自己表現」、私の「自己表現」で世の中は溢れ帰り
感嘆するような物から自己満足なものまで次から次へと「自己表現」が生産され、
消費され、破棄され、世の中はアートで飽和状態です。
今時は作る事のみならず売り方やセルフプロデュースまで学んでますし
オリジナリティのみを追求した得体の知れ無いパフォーマンスまがいの物があるかと思いきや
情報過多を逆手に取った似非オリジナリティ作品がまかり通る時代です。
てなわけで、自己を表現する事などに手は染めないで
普遍的だけどありふれたテーマに手を出してみる事にします。
題材は「仏陀の世界観」これの視覚化を試みます。
アートフェスティバル期間中に製作し
ほけきょ庵に興味のある人、アートに興味のある人、伊豆高原に観光に来た人。
これらの人に製作現場を見てもらおうとの趣向です。
文章※武山よしてつ
・ノッポさんになったつもりで、「でっきるっかな~はてさてほほ~」
・武山まゆみ ~白磁・黒磁~
桜の3月4月を終えると新緑の5月です。この頃にはウグイスの鳴き声「ほ~ほけきょ」も最盛期に入り恋の季節を謳歌します。GW ゴールデンウィークには沢山の観光客が訪れ一年でもっとも活気で満ち溢れた伊豆高原となります。そんな季節に1993年から行われる「伊豆高原アートフェスティバル」
「自分たちの暮らす町で、自分たちの手で文化活動を作りだすこと。お金のためでなく、仕事ではなく、義務でもない。「活動すること」を通してこの町で暮らすことを楽しむこと。」「暮しのために豊かな緑の自然環境を守る」気持ち。
「ほけきょ庵」もこの「伊豆高原アートフェスティバル」の精神に共感。2010年より初参加、スタッフやその友人作家による展示販売を行います。
参加作家
・武山よしてつ
・武山まゆみ
・志村岳哉
・村上奨
・村上奨 ~普段使いの焼き物~
・The world of nirvana 志村岳哉~陶芸の技法で作る立体造形物~
・森の仲間たち 武山よしてつ ~彫塑の技法で作る陶芸造形物~
・伊豆の景色をモチーフにしたほけきょ庵の焼き物の紹介
・お香作りの漆喰部屋にはほけきょ庵のスタッフ皆で作ったプロダクト製品を並べました
・The world is a playground. 武山よしてつ ~漆喰彫塑と虹のインスタレーション~
4月27日(火)
ゴールデンウィーク直前です。
小屋作りの完成、ギリギリで間に合いました。
この部屋は、お香作り体験の部屋となるのですが。
このゴールデンウィークと5月の1ヵ月間は
伊豆高原アートフェスティバルの展示に利用します。
ウッドデッキの上に壁を作り漆喰を塗った簡素な部屋ですが。
窓の外の風景の見え方や、自然光の取り入れ方など、各所にこだわりと工夫を凝らし
ギャラリー展示なども出来るようにデザイン設計してあります。
素人仕事でもここまでやれたとの安堵と
頭に思い描いたとおりの完成度に、私自身ご満悦です。
これらウッドデッキや小屋作りなどを職人さんに依頼すると
何百万ものお金が要ります。
お金を貯めてそれらの事を実現することはとても大変なことです。
そして工期も短く美しく立派な物が出来ることは間違い無いのですが。
出来ることは自分でする。
作れるものは自分で作る。
やったこと無いことにもチャレンジする。
生活を楽しむ。
美しく生きる。
それらの結果、そこそこでいいから美しく立派な物が目の前に創出される。
これらの精神を大切にし、スタッフ皆と分かち合いたいのです。
今後もこの調子で、手作りの観光施設を目指したいと考えてます。
文章※武山よしてつ
4月26日(月)
一年ほど前に購入して風雨にさらされて
いい感じに寂れた木材で窓を作ります。
この木材は以前のウッドデッキの目隠しに使ってたものです。
コンパネ材と外壁板の隙間に雨戸のように滑らせて
窓となるような構造にしてあります。
文章※武山よしてつ
4月25日(日)
内壁には漆喰を塗りましたが
外壁はコンパネの上に塗装を施し
1x4の板を張ってゆきます。
塗装したコンパネの上に直に張るのではなく
2x4材を貼り付けたその上に1x4の板を貼り付けました。
この方が風雨にさらされても
風通し良く腐らずに済むかなとの配慮です。
文章※武山よしてつ