温泉
湯ヶ島温泉 湯本館
・秘湯というに申し分の無い源泉欠け流しの湯
「伊豆の踊子」「雪国」「千羽鶴」「古都」など日本の美と日本人の情緒を表現した作品を発表し、
1968年日本人初のノーベル文学賞を受賞した「川端康成」縁の宿、湯本館です。
私などが述べるまでも無く素晴らしい「旅館」「秘湯」
至るところでその素晴らしさが述べられてるので少し趣向を変えて「湯本館」では無く
「伊豆」と「伊豆の踊り子」に対する私個人の想いを述べてみようと思います。
ちょうど私の生まれた昭和47年に川端康成は没してますので、かの作品に出てくるような「にっぽん」
の風景や、当時のにっぽん人の情緒は、頭では理解できても心の底からは知り得ません。
東京のベッドタウン、どこにでもあるような団地。電信柱で埋め尽くされた街で育った私には、
「伊豆の踊り子」の作品性を紐解き共感を持って読み進めることがどうにも出来ないのです。
この感じ方は、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を読んだ時の感覚にも似てます。
「え?これの何が面白いの?」なのです。
・露天風呂に入りたい方は連絡入れた方が確実です
想像性の少ない矮小な奴だな~などと思われてしまいそうですが
仕方がありません。本当にそう感じてしまうのですから。
ではなぜ「え?これの何が面白いの?」と、感じてしまうかを
自分なりに分析してみることにします。
おそらくこんな感じかと思うことを述べてゆくと。
産まれたときには家に「テレビ」があり、小学校に入るころには「テレビゲーム」で遊び
小学校高学年では、家にある「ビデオ」で映画を見てました。
偉人伝や科学の本も好きで読んだしサッカーも野球もドッヂボールも楽しんだ子供でしたが、
アニメや漫画が大好きで、ゲームセンターで遊ぶことも好きな子供でした。
私が生まれてから流行った物を順にあげると「スーパーカー」「ルービックキューブ」
「ガンダム」「ファミコン」「バンドブーム」「スノボー」といった感じです。
どれもマスメディアの煽りを受け国民全員が同じ方向を向くような流行り方でした。
母に昔の話を聞いてみても「だっこちゃん人形」「ミニスカート」「フラフープ」「ボーリング」と
戦後の日本の風潮として「国民全員が同じ方向を向く」ほどの流行の形が主流でした。
・目の前を流れる狩野川
今でも伊豆に遊びに来ても駅のお土産屋などには「伊豆に縁のない物」
アニメキャラのヌイグルミや産地不明のキーホルダー、「ルービックキューブ」などのおもちゃが売られてます。
これは私が初めて伊豆を訪れた昭和50年代でも同じでした。
当時の私は子供でしたので、駅で電車を待ってる退屈な時間にそれらを見てると
無性に欲しくなるのです。もちろん爺様にげんこつもらって買ってなどは貰えなかったのですが。
90年代も後半に入りようやく娯楽やファッションも多様化し、
個性教育の甲斐あってか「人と違う事」が美徳にもなりつつある昨今ですが。
何が言いたいかというと、産まれてこのかた
マスメディアより与えられた情報、資本主義社会の副産物である「娯楽」が「刺激的」だったんですよ。
そして、流行に乗らないと話題についてゆけない。仲間はずれにされる。
そして何よりも流行にのっかってたほうが「楽」なんですね。
もしくはそんな事すら疑問に思わない。
20世紀後半はそんな空気が蔓延してたように思います。
そんな資本主義社会の「刺激の渦」の中にあっては感覚も鈍くなり
「伊豆の踊り子」を読もうが「ライ麦畑でつかまえて」を読もうが
響いてるものに気がつくわけが無い。と言うのが私の自己分析です。
・出会い橋
しかし、「伊豆の踊り子」が理解できない。
と言うことでもないのです。
キーワードは「ロードムービー」なのです。
私は映画が好きで年に100本以上は見る口なのですが。
映画のジャンルの一つに「ロードムービー」というものがあります。
簡単に言うと「旅をして成長する」物語です。
いくつか題名を挙げてみますと
「イージー・ライダー」
「幸福の黄色いハンカチ」
「男はつらいよ 寅次郎物語」
「パリ、テキサス」
「クロスロード」
「ブルースブラザーズ」
「スタンド・バイ・ミー」
「トゥルー・ロマンス 」
「プリシラ」
「リトル・ミス・サンシャイン」
この辺りに共感の糸口が見え隠れしてることを発見します。
幸いにも伊豆の踊り子は人気もあり
往年の大スター「美空ひばり」「吉永小百合」「山口百恵」などが出演で6回も映画化されてます。
どれも軽薄なアイドル映画だよと指摘されても否定する気もありませんが
このうちの「吉永小百合」「山口百恵」版の2本はビデオで見てます。
「山口百恵」版はアメリカンニューシネマ的バッドエンドの
ラストに思わず吹いて笑ってしまったのですが。
「吉永小百合」板は少なくとも「ロードムービー」的に仕上がってる印象を受けました。
これは、映画制作時にロードムービー全盛期と言うことよりも、映画監督が意図したと言うよりも、
「伊豆の踊り子」原作の持つエッセンスその物が「ロードムービー」なんだな。との解釈です。
映画馬鹿的解釈をするならば
川端康成文学=ヴィムベンダース的な彫刻的、哲学的な映画表現
「ああ、なるほど」と
ともするとヴィムベンダースの映画は静かで退屈とも言われるのですが。
しんと心を落ち着けないと聞き分ける事の出来ない微細な響き、妙な魅力を持っており。
見れば見るほどスルメ的に味わいが増すのです。
これは情報過多社会では異例の事であり、
その特異性がヴィムベンダースの持つ映画表現の硬質性を支えていると考えます。
そして恐らくは川端康成が伊豆の踊り子執筆当時は、
「伊豆の踊り子」は当時の日本人にはまだまだ刺激的な読み物であったのではないか。
(いや、当時としてもすでに回顧的で
古き良き物を尊ぶ心持で描かれた作品だよと言われても納得は出来るますけど)
刺激を抑えたヴィムベンダースの硬質的な映画手法と
当時としては刺激的だった川端康成の「伊豆の踊り子」が。
20世紀資本主義社会の生んだ功罪、「ムービー」と
前近代の生んだ娯楽である「純文学」が、私の中でクロスオーバーを起こしたのです。
「旅をして成長する」物語は形態はどうあれ人の心をとらえる物なのだなと。
湯本館の秘湯につかりながらそんな事を考えてしまいました。
そして改めて読み進めてみると。
今まで理解できなかった「伊豆の踊り子」が急速に理解でき、共感が体に浸透して行きました。
湯本館も、秘湯も、狩野川もますます好きになりました。
補足
ヴィムベンダース※静かで彫刻的な映画を撮り続けるドイツの映画監督
店舗名■湯ヶ島温泉 湯元館
住所■静岡県伊豆市湯ケ島1656-1
電話■0558-85-1028
営業時間 12:00~15:00
入浴料金 500円
駐車場 あり
・どっしりと落ち着きのある門構え
・当時を偲ばせる資料が
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